もうすぐ3か月となる次女。
首がだいぶ安定してきた。
親としては、子供の成長は喜ばしい。
そして、最近ますますパワーアップした3歳の長女。
長女は手が付けられないほど、お転婆に成長した。
どうにかならないものかと思っていたら、ふと昔読んだ本を思い出した。
この本には、なにか良いことが書いてあった気がする。
本棚から引っ張り出し、数年ぶりに読んでみた。
作者は長尾弘さんと言って、戦時中の生まれの方である。
作者が7歳の時の体験談を、かいつまんで説明する。
彼は農家の家に生まれ、学校が終わると家の田んぼや畑を毎日手伝っていた。
ある日、
『今日は友達の家で勉強会がある。』
と親にウソをつき、納屋にあった鎌を持ち出し、一人山へ遊びに行った。
山で鎌を振り回し、木の枝や草を切って遊んでいると、誤って自分の足を鎌で切ってしまった。
足は骨が見えるくらいザックリ切れ、血がドバドバ出てきた。
慌てて家に帰ったが、親にウソをついた手前、家に入れなかった。
道端でみつけたボロ布を足に巻き、家のまわりをウロウロ歩いた。
『えらいことをしたなぁ。なんと言って言い訳しようかな。』
と、7歳の幼い頭で考えたが、いい考えは浮かばない。
夕暮れになり、意を決して家にはいった。
『遅かったなあ。なにしてたんや。』
と母が聞くので、
『友達の家で勉強していてケガをした。』
と誤魔化した。
母は
『ちょっと見せてごらん。』
と言って、
『こんなボロい布で。どうして友達の母ちゃんは手当してくれんかったんや。』
『こんなえらいことになっているのに。痛かったやろう。』
と言いながら、薬を塗り新しい包帯をしてくれた。
『ああ、痛かったなあ。』
『つらかったやろう。』
『友達のお母ちゃんはなんで手当してくれんかったんやろうななあ。』
と母が言う間、作者は涙が止まらなくなった。
ケガの痛みを思い出したのか。
ウソをついた後悔なのか。
母の優しさなのか。
自分でもわからない涙。
この母の大きな愛に対して、幼い自分が大きなウソをついだましている。
作者はひたすら反省したという。
母は足のケガを見た時、友達の家でケガをしたのではないことくらい分かっていた。
にもかかわらず、そんなことよりも
『ああ痛かったなあ。』
『可哀想になあ。』
という思いが強いのが母親というもの。
子供のついたウソを取沙汰して善悪の理非を正すより、まずケガを心配するのが母の愛。
ちなみに親父にはこっぴどく叱られた。
勉強に行くとウソをつき、さらに納屋の鎌を勝手に持ち出したからだ。
父の愛は、子供が間違えたことをしたらそれを正す、強い愛。
子供を立派な人間に育てようとする厳しい愛。
社会で生きていくていくために必要な、規律や道徳心を教えるのが父の愛だ。
母の愛は、ただひたすら子供の安否を願う優しい愛。
子供が泣いていれば、抱きしめる。
子供が泣いていれば、包み込む。
母の愛は、教育ではなく、無償の愛。
父と母では愛の形が違うのだ。
と、7歳のとき作者は悟ったそうな。
なるほど~
良い話ですなぁ。
なるほど~
父は厳しい愛。
母は優しい愛。
なるほど~
だから長女は
『お父さん好きくない。お母さんが好き。』
と言うのか。
納得。
なるほど~
だから、
『もうお父さんと一緒に寝ちゃらんもん。』
『あかんべー σ(^┰゜)』
『もう一緒に遊んじゃらん。』
『鬼さんが来ても助けちゃらん。』
『あかんべーだ σ(^┰゜)』
と長女は言うのか。ナットクナットク。
まだガキんちょだから、分からないんだろう。
いずれ父の愛も、ボディブローのようにジワジワ効いてくるだろう。