10月23日。
今から30年前の今日。
私は小学2年生だった。
その日、学校から帰ると母に病院へ連れていかれた。
『お父さんがケガをした。』
と母は言った。
父は神棚職人(宮大工)であり、電動のこぎりでケガをしたようだった。
ケガというか・・・
利き手である右手の親指が切り落とされた。
あとから聞いた話だが、親指はくっつけなければ多額の保険金が降りていたらしい。
だが父は親指をくっつけた。
くっつけたと言っても、親指の関節は動かない。
少し小さい親指が手に残っているだけだ。
父は動かない親指で神棚職人を続ける道を選んだ。
父は親指以外の4つの指で、のこぎりを持ち、金槌を握り、カンナを使った。
それから30年。
父はいまだに現役である。
偶然かなんだか分からないが、私も父と同じく手を使う職についた。
はたして、自分は利き手の親指が機能しなくても、今と同じように仕事をやっていけるだろうか。
それだけの胆力あるだろうか。
いつも自分に問いかける。
では失ったものが親指ではなく視界ならどうか。
視界を奪われても今と同じようにやっていけるか、考えた日もあった。
きっとできる。
私はやると思う。
簡単ではないと思うけれども。
できない。
と思えばなんにもできない。
私は5体満足で、もちろん親指も動く。
この環境で『できない』なんて言い訳はできない。
家族の誰にも言ってないが、この出来事があったのが、10月23日だったことは昔から覚えている。
息子であった自分にとって、大きな出来事だったのだ。
父ですら忘れているであろうこの日を、私は覚えている。
子供は見ていないようで親の背中をみているのだ。
10年後。
20年後。
30年後。
私の背中が、娘たちにどう映るか。
日々試されているのである。