いま一番熱いスポーツ。
いま一番女の子にモテる競技。
私は高校時代それをやっていた。
もちろん競歩である。
私は、高校を卒業してすぐのゴールデンウィークに『話がある』と恩師に呼ばれた。
話なんて嘘でガッツリ競歩の講習会だった。
こうして私は、競歩の正式な審判の資格を取得した。
競歩の審判資格を持っているインテリなカイロプラクターなんて、日本ひろしといえども、私だけだろう。
私が競歩をしていたのは高校生のとき。
もう20年前の話だ。
その頃は20年後に日本人がメダル争いをするなんて夢にも思わなかった。
今でも思い出す。
石川県輪島市。
ここは日本の競歩の聖地。
ここで毎年4月に行われるレースが、オリンピックやら世界陸上を選考するレースとなる。
私も出場していた。
オリンピック予選の20キロや50キロではない。
高校10キロの部だ。
一周2キロのコースがあって、そこを高校生や一般・大学も一緒に歩く。
招待選手として来日していたメキシコ人が、世界ランク2位だか3位だかで、メチャクチャ速かった。
10キロ歩いている私を、50キロ歩いている彼が悠々と追い抜いて行った。
スゲーΣ(°д°lll)ガーン
メキシコ人。
バネが違う。
あんなの一生勝てん。
そう思った。
50キロのレースは4時間もかけて歩くのだから、バナナなどを喰らいながら歩く。
驚くことに、メキシコ人は歩きながら腕の振りに合わせて器用にバナナを剥いていた。
スゲーΣ(゚Д゚;≡;゚д゚)
メキシコ人。
あんなの一生勝てん。
そう本気で思った。
しかし、次の瞬間の光景を私は一生忘れることはできない。
彼が顔を近づけた瞬間、バナナはポキンと折れて地面に転がった。
大きく開けてかぶりついた口は空振り。
バナナを食べられなかったメキシコ人の、悲しそうな顔が目に焼き付いている。
超人だと思っていたメキシコ人だが、人間らしさを垣間見た瞬間でもあった。
彼の投げたバナナの皮で、誰か脚を滑らさないか心配になってきた。
一生勝てない、ことはない。
メキシコ人に少し勝機を見出していた私である。
そのほかにもカルチャーショックがあった。
日本の高校生はどんなに速い選手でも、みんな高校10キロの部に出場していた。
それが当たり前だった。
やのに、招待選手として20キロに出場していた中国人選手は、自分と同じ高校生だった。
日本の高校生が『高校10キロの部』を飛び越えて、大学生や実業団に交じって20キロの部にでる。
そんな概念はまったくなかった。
中国人の彼は、我々の倍の距離のレースを歩き、我々よりもはるかに速いペースでゴールした。
愕然とした。
メキシコ人じゃない。
中国人だ。
同じアジア人であり、顔も体格も我々とほとんど同じ。
外国人やから身体能力が違う。
だから勝てない。なんて言い訳ができない。
同い年の中国人が、我々の憧れである日本のトップ選手と争い、そして勝ってしまった。
日本はまだまだ競歩後進国だったのである。
それから20年後。
リオ五輪。
ロンドン世界陸上。
日本がメダルを獲るまでになったのだ。
もはや日本は競歩先進国となった。
あのときのメキシコ人よりも、現在の日本人のトップが数段速くなったのだ。
信じられない。
あの日、バナナのメキシコ人に惨敗した今村さんが、日本の競歩強化部長となっていた。
ロンドン世界陸上ではメダル2つ。
50キロでは3人とも入賞の大快挙。
この3人以外にも、まだまだ東京五輪で活躍しそうな若手がウジャウジャいるらしい。
日本の選手層はもはや世界トップクラスとなった。
なんとも頼もしい。
競歩をぜひメジャースポーツにひきあげてほしい。
競歩は華やかではないが、ただじっと苦しみを耐える競技。
なるほど、日本人の気質にはピッタリではないか。
いま頑張ってくれている彼らのおかげで、
『むかし競歩をやっていた。』
と胸を張っていえるのだ。
これからもっと競技人口を増え、花形競技になってほしい。
切なる願いだ。