どんな職業であれ、クレームを受ける機会はあると思う。
もちろん私もある。
でも自分がクレームを発信する側になって、初めてクレームを言っている人の気持ちが分かった。
ごく最近の出来事である。
先日、ある業者にて。
坂本『今回もこういう風にやりたいんですけど。』
スタッフA『これはできなんですよ。』
坂本『え?でも去年までこれでやってましたよ?』
その横にいたスタッフB
スタッフB『ええ?できるんじゃないの?』
この件は確認しときます。
ということでその日は終わりになった。
後日
坂本『あの件どうなりました?』
スタッフC『大丈夫ですよ。できますよ。』
坂本『そうですか。良かったです。』
すると帰り際に、顔なじみのスタッフDにバッタリ会った。
スタッフD『坂本さん、先日お問合わせして頂いていた件ですが、やっぱり出来ないんですよ。すいません。』
坂本『え?ほんのさっきCさんが出来るって言ってましたよ。』
スタッフD『すいません。社内でもきちんと共有ができてなくて。やっぱり出来ないんですよ。』
坂本『分かりました・・・』
今さら出来ないって。
納期は明日やのに。
しかもスタッフが4人いて、4人とも出来る出来ないがバラバラって。
まぁ、しょうがないか・・・
なんだがモヤモヤしていた私は、もう一度業者さんに電話した。
今度はスタッフではなく責任者の人と話をしようと思ったのだ。
責任者E『坂本さん、スタッフから話を聞いております。スタッフの間で説明が違っていたみたいで。』
『あの件はやっぱり出来ないんですよ。理由はあれがあって、これがこうなっているから。』
『お渡しした書類も、確かにあれでは勘違いしますよね。』
『今後はもっと分かりやすく書類を作るようにします。』
『でもそれほど問題はないですよ。あれをああして、これをこうするので。』
『今日の夕方にでもミーティングをして、社内できちんと話しておきます。』
『今回のようなことがないように次回から致しますので。』
と、一気にまくし立てられた。
こちらに一言も言わせまいとばかりに、説明・結果・理由が簡潔に述べられ電話が終わった。
こちらが言おうとしている業者の手落ちの部分を、すべて先回りして言われてしまったのだ。
こんな事があって、あんな説明があったようですが、間違いでしたのでやはり出来ません。結果的にはこうなります。
といった具合。
とにかく出来るか出来ないかはハッキリした。
でも釈然としないのはなぜだ。
私は、出来るか出来ないかを責任者に聞きたかったのではなかったのだと思う。
一言だけで良いから謝罪の言葉が欲しかっただけなのだ。
でも結局
『すみませんでした。』
の一言はどこにもなかった。
スタッフで情報の共有ができてなくって、みんな説明が違っていたこと。
問い合わせをするたびに、出来る出来ないが2転3転したこと。
前回まで出来ていたことが出来なくなっているのに、こちらが問合わせするまで何もお知らせがなかったこと。
前日になって『出来ない』と言われて困っていること。
あれをああして、これをこうするから問題ないですよ。って言われたけど、こちらにとってはなにも解決していないこと。
などなど、本当はいろいろ言いたいことがあった。
でもとにかく『出来ない』ということが分かったので、これ以上の話はただの文句になってしまうと思い、電話を切ったのである。
とにかく、何も言えずに電話が終わった。
よく考えてみたら、今回の場合、やはり相手(私)の話を一旦すべて聞くべきだと思った。
そうしないと相手(私)に残尿感が残るのだ。
一件解決しているようで、感情面の問題がなに一つ解決していない。
大きなトラブルがあった時、相手先の玄関に行き、泣きながら土下座して事を解決してきた。
という人の話を本で読んだことがある。
でも、解決していると思っているのはトラブルを起こした側だけで、本当はちっとも解決していない。
泣きながら土下座されると、トラブルを受けた側はそれ以上なにも言えなくなる。
その時、言葉に出せなかった想いが、心のなかに残るはずだ。
今回は勉強になった。
自分がクレームを受けるときは、まずは相手の話を聞こう。
説明はそれからだ。