まだ私が若手のころ。
まだカイロプラクティックを始める前、ある会社に入社した。
治療家になるのか、サラリーマンを続けるのか決めかねているまま入社した会社であった。
治療家になりたいという思いと、サラリーマンを辞める踏ん切りがつかないのと交錯していた。
その会社はゴリゴリの営業部隊で、私は高知支店に配属。
最初の1週間は先輩営業マンと同行して、営業のやり方を学んだ。
月曜に入社して4日目の木曜日。
私は高知支店長に呼ばれた。
高知支店長『坂本、浜松支店に欠員がでてな。お前行ってみんか?』
高知支店長『3ヶ月のレンタル移籍や。お前のキャリアにもいいと思う。』
サラリーマンの方なら分かると思うが、私に行く行かないの選択肢はない。
会社の駒だからだ。
そして、高知支店長が私を選んだ理由も明確だ。
まだ入社したてで、私が使い物になるかどうか分からないからだ。
厳しい営業部隊なので、入社して1週間で辞めるとか、1件も契約がとれない人なんてザラにいる。
それに対して、安定して結果をだしている高知のメンバーは、手元に置いておきたい。
だから、高知支店で一番の弱者である私を放り出したのだ。
月曜に入社して、次の月曜には私は浜松支店にいた。
そこから浜松での私のホテル暮らしが始まった。
最初の1ヶ月目。
まったく契約がとれなかった。
よく浜松の支店長に怒鳴られた。
浜松支店長『坂本!お前浜松まで何しに来たんだ!』
浜松支店長『お前の給料払ってお前のホテル代まで払って、全然戦力になってないぞ。分かってるのか?』
坂本『・・・すんまそん。・・・』
叱られるのも、謝るのも慣れっこだ。
そこへ面倒見の良い鈴木さんがフォローにはいった。
鈴木さん『支店長、坂本は自分の意志でここに来て、ホテル暮らししてるわけじゃないですよ。』
鈴木さん『浜松支店の業績が悪いから、入社早々ここに連れて来られたんじゃないですか?』
鈴木さん。OK。分かってるよ。ありがとう。
支店長だって、それくらい承知のうえさ。
支店長も、自分の意志で言ってるわけではないさ。
私も支店長の立場を承知してるし、自分の立場も承知してる。
飛ばされて来たくせに、役に立ってないからすみませんって言ってるわけさ。
私も支店長も、お互いサラリーマンがゆえに、立場で発言が決まるってわけさ。
2ヶ月目。
まぐれで契約をとりまくり、私は浜松支店のトップに(一時期)躍り出た。
浜松支店長は、私にお褒めの言葉をかけてくれるようになった。
その頃から、高知の支店長からも電話がくるようになった。
高知支店長『坂本!元気か!凄いな!営業成績見たゾ!』
高知支店長『お前が高知に帰ってくるのを楽しみにしてるからな。』
高知支店長『みんなお前と仕事がしたいって言ってるゾ。』
・・・うそだ。・・・
高知支店で1週間しか仕事してないし、浜松に来てからは誰からも連絡なかったし。
自分が周りから、どんな風に愛されているのか分かると傷つく。
さだまさしの案山子という歌をご存じだろうか。
上京した子供を心配する歌だ。
この歌のように
『寂しくないか?友達できたか?』
と高知の支店長は聞いてはくれなかった。
3ヶ月目。
3ヶ月のレンタル移籍が過ぎれば、浜松に残るか、高知支店に戻るか私に決定権があるらしい。
長野支店も欠員がでて、なんと私に来てほしいそうだ。
クズ扱いされていた自分が、一瞬だけ人気者になったみたいで嬉しかった。
私の決断は高知支店ではなく、
浜松支店でもなく、
長野支店でもなく、
この会社を辞めることであった。
私は無性に、人に感動を与えるような仕事がしたいと思った。
絶望の淵で死にそうだった人が、明日も生きていこうと思うような。
そんな仕事だ。
早く治療家になりたかった。
この3ヶ月間、夜中に整体の勉強を始めていて、どこの学校にはいるかも決めていた。
私が辞めると決めたあとも、浜松の支店長は温かかった。
浜松支店長『坂本ありがとうな。お前のおかげで助かったよ。』
高知の支店長も何度か引き留めてくれた。
浜松の最終日、つまりサラリーマンの最終日。
その日の仕事を全部サボって、営業用のチャリンコを立ちこぎして、私は浜松の遠州浜を見にいった。
海はいい。
悩んだときは海を見るといい。
海をみて清々しい気持ちでサラリーマンを終えた。
治療家になる前、何社か会社を渡り歩いたけど、どの会社も学びがあった。
なんでも経験してみて損はない。