最近、世代抗争が勃発している。
世代抗争といっても、サッカー日本代表の話ではない。
私と両親の間での世代抗争だ。
実家のいらないモノを捨てるか置いとくか。
これは世代で価値観が全く違う。
もう20年に渡って抗争してきた。
私が22歳で実家をでて約20年。
実家の私の部屋が、どんどん物置化してきたのだ。
押し入れに入りきらないものを、少しずつ私の部屋に置いていったのである。
そして、いつしか私の部屋だけ物置からゴミ屋敷化してきたのだ。
両親は子供のころ、かなり貧乏だったらしく、物が捨てられない。
特におかんがひどい。
私の部屋には、スタンド式のタオル干しが3つ置いてある。
その3つタオル干しには、おかんの服がガーッっとハンガーで吊るされている。
マリーアントワネットばりに服に囲まれているのだ。
しかも、ほぼ10年以上は着ていない服ばかり。
私と姉が居て4人暮らしだった時よりも、モノが圧倒的に増えてしまっている。
私の部屋にはまだ学習机とベッドが置いてあり、その上にも所狭しとモノが積まれている。
万が一、私が住むところを失っても、あの実家の2階のベッドで寝ることはない。
万が一、私が勉強部屋を欲しくても、あの実家の2階の学習机で勉強することはない。
私が中学のバスケ部で履いていたバスケットシューズも大事に大事に置いてある。
坂本『おかん。もうこのシューズいらんき捨てや。』
おかん『お母さんが履くき置いちょって。』
坂本『・・・。おかんバスケせんやか。』
坂本『サイズも違うやか。』
おかん『お父さんが履くかもしれん。』
うちの父親は団塊の世代。
ダボついた短パンを履いて、
カラーのタンクトップ、
シルバーのチョーカーを首からぶら下げて、
帽子を斜めにかぶって、
ラジカセを背負っている人。
そんな人にしか、バスケットシューズの普段着での着用は似合わないというのは周知の事実だ。
父親はもちろんそんな恰好はしない。
おかんとの話し合いは、どこまで行っても平行線なのだ。
同世代のお客さんからも同じような話を聞く。
あるお客さんは、離婚した県外の子供からタンスやテーブルが実家に送られてきた。
特に家具が足りないわけではないけど、捨てるの勿体ないので、家に置いてある。
そのせいで、部屋の使えるスペースが半分もなくなったそうだ。
うーん。
どう考えても、合理的ではない。
いらないモノを保持しておくせいで、使えないスペースができる方が勿体ないと思ってしまう。
この価値観の違いが世代抗争となるのだ。
多くの家で、このバトルを繰り広げているらしい。
ひょっとしたら、私の価値観をおかんに押し付けているだけなのか・・・
と思った時期もあった。
先日、所要で実家に行った。
久しぶりに自分の部屋の惨状をみて、
坂本『お母さん、こんなに要らないモノを置いていてはダメですよ。』
という旨の内容を、もっとバイオレンス風に、巻き舌で高圧的に宣戦布告したのである。
そして、その日は半日かけていらないものをゴミ袋に詰め込んだ。
インクが切れているボールペン。
ガンダムのプラモ。
中学時代の英語の辞書。
某銀行のタオル。
中学時代のノート。
私が部活でゲットした記念のメダルもゴロゴロでてきた。
数日後。
私の部屋の学習机とベッドも無事に撤去されたようだ。
いつの日か。
おかんも部屋がスッキリして良かったと思ってくれる。
そう信じている。
いつの日か。
私がおじいになった頃は、子供や孫と世代抗争をするだろう。
その頃はたぶんIT世代抗争だ。
孫『じいちゃん、まだ予約を紙に書きゆうが?』
孫『支払いはまだ現金かよ。ダセェなぁ。』
孫『このアプリをダウンロードして、ブロックチェーンでこうやれば、予約も支払いも全部セルフでできるのに。』
私『うるせい。うるせい。わしゃアナログが良いんじゃワイ。』
自分が青春時代に聞いた歌が、一番いいと思うように、
自分の時代の価値観が、一番いいと思うんだろうな。