うちの姉妹が泣きながら懇願してきた。
長女『お父さん、鬼滅の刃の映画観に行きたい。』
次女『映画館行きたい。行きたい。行きたい』
o(T△T=T△T)o
長女『お願い。お願い。お願い。』
次女『○○ちゃんも○○ちゃんも観に行ったって言いよったで。』
次女『お利口になるき。』
長女『なんでダメなが〜』
もちろん映画館に行けない理由は、新型コロナウィルス感染拡大のリスクヘッジのためである。
それから半年。
今年6月に劇場版鬼滅の刃・無限列車編がDVD化された。
単行本のように売り切れで手に入らないと困るから、4月からアマゾンで予約した。
DVDが無事到着。
お子ちゃまたちに見せる前に、休みの日に一人でこっそり見た。
噂にたがわず、素晴らしい内容だった。
この映画の見所は幾つかある。
なんと言っても、主人公の兄貴分にあたる煉獄さんの人格やセリフが光る。
終盤の煉獄さんや、そのお母さんのセリフが秀逸なのである。
以下は煉獄さんのセリフだ。
『老いることも死ぬことも
人間という儚い(はかない)生き物の美しさだ。
老いるからこそ 死ぬからこそ
たまらなく愛おしく 尊いのだ。』
なんという言葉だ。ォオ~!!(゚Д゚ノ)ノ
私はこんなこと考えずに生きてきた。
僅かだが、
ほんの僅かだが、煉獄さんは私より男として上だと思った。
煉獄さんは闘いの最中、亡くなった母が残した言葉を思い出す。
母上『なぜ自分が人よりも強く生まれたか分かりますか?』
『弱き人を助けるためです。』
『生まれついて人より多くの才に恵まれた者は
その力を世のため人のために使わねばなりません。』
『天から賜りし力で 人を傷つけること
私腹を肥やすことは許されません。』
うーん。
素晴らしい。
うちのおかんは、私にこんな立派な事は言ってくれなかった。
おかんの言葉で覚えているものといえば・・・
私が高校生だったある日、部活を終え帰宅した。
その時、おかんが私に言った言葉だ。
おかん『お母さん、ちょうどカレー食べ終わったき、あんたこのお皿でカレー食べや。』
なんと(゚ロ゚;ノ)ノ
私『なんでや!お皿替えてや。キモイわ!』
おかん『かまんやか。おんなじカレーやき。』
ひょっとしたら、今まで食べてきたカレー皿も、おかんの使い回しだったのかもしれない。
なんだか寒気がしてきた。
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
おかんには、お皿の使い回しがなぜダメなのか、念をいれて説明した。
おかんの理屈で言えば、
同じカレーだから、さっき食べ終わったお皿に、新しくカレーをいれたらえいやか。
そしたら、洗うお皿が一つ減る。
サラダやお魚を盛りつけていたお皿やったら、ドレッシングとか醤油がお皿に付いちゅうかもしれんけど。
おんなじカレーやったら、味が変わらんきかまんやか。
だそうだ。
正気かよ。(°m°;)
きっと煉獄さんの母上は、こんなこと言わない。
きっと煉獄さんの母上は、まっさらな新しいお皿にカレーを盛ってくれるはずだ。
うちのおかんからは、主婦がいかに節約と合理性を追求しているのかを学んだ。
多少の違いはあるが、煉獄さんも私も、母から生きるとはなにかを学んだ。
私も煉獄さんのように、立派に生きたいと思った。