岡田斗司夫さんのジブリ解説。
魔女の宅急便、第3弾。
街はなぜ冷たく描かれたか。
物語の序盤、田舎から都会に到着して、丘の上で絶望して座り込んでいるキキのシーンがある。
この街は冷たくて、私のことはみんな大嫌いとキキは思っている。
素敵そうな街に到着して、道行く人々にご挨拶をするが、冷たくあしらわれてしまったから落ち込んでしまったのだ。
田舎育ちだったキキが、都会の洗礼を受け孤独を感じるわけである。
寂しくて孤独な人は、誰かが包んであげて報われるわけではない。
寂しさや孤独というのを自分で耐えることによって、今まで見えなかった人の優しさや思いやりに気が付いていく。
そして、ようやくその場所が好きになれるわけである。
物語を通して、キキは一人暮らしの辛さを乗り越え、成長して強くなった。
だからこそ、物語終盤では街の中に最初からあった人の優しさに気付くようになったのである。
冷たかった街の人が、急に優しくなったわけではない。
キキが成長して、見える景色が変わってきたのである。
エンディングでキキは両親へ宛てた手紙に
『私はこの街が好きです。』
とまで書けるようになった。
魔女の宅急便は、親元を離れて都会で戸惑う若者に向けた、エール映画でもあったのだ。
私が個人的に印象的だったシーンは、カボチャとニシンのパイを渡すシーンだ。
お婆ちゃまと苦労してカボチャとニシンのパイを作った。
雨の中で重いパイを苦労して運んで来て、大きな屋敷の玄関をノックする。
ドレスを着た同い年くらいの女の子がでてくる。
キキの野暮ったい、濡れた黒のワンピースを見て、ドレスの女の子は冷たい表情をする。
女の子は、受け取りのサインも面倒くさそうに適当に書く。
そして、『私このパイ嫌いなんだよね』とか言いながら屋敷に入っていく。
その冷たい対応をみてキキは茫然とする。
田舎の親元で暮らしていたら、きっと経験し得ない感情だ。
修行中の自分と、屋敷の女の子の間には歴然とした差がある。
それだけで、思春期なら惨めな気持ちになる。
さらに他人への敬意も払わない屋敷の女の子。
40歳なら平気だけど、13歳で同い年の子にこんな事をされたら、たまらなく辛い。
社会にでたら不条理だらけ。
その不条理を嘆いていても仕方がないし、誰か手を差し伸べてくれる人を待っていても始まらない。
不条理を自分で解決したり、受け入れていくしかないのだ。
しかし、親が我が子にわざわざ不条理を仕向けることなんてできない。
あのニシンのパイのような、みじめで辛い体験を、親なら子供にさせたくない。
でも、ああいう出来事は、長い人生のなかで必要な体験だったりもする。
だから、一旦親元を離れて、不条理という洗礼を受けなければ子供は心の自立ができないのである。
岡田斗司夫さんの解説を聞いて、私は気づいた。
子供の時に観た魔女の宅急便は、魔女が空を飛ぶSFファンタジー映画だった。
大人になって観る魔女の宅急便は、人間の成長を映したドキュメンタリー映画に観えるのである。
なんだか元気がでないときは、魔女の宅急便を観て元気になろう。