以前YouTubeで、
『道徳の授業をいかに行うべきか』
という講義を見たことがある。
その講義の内容が面白かった。
『人との約束を守るか、自分の夢をとるか。』
というストーリーの教材がある。
それを生徒にみせて、どのようなポイントで生徒に考えさせ、授業をまとめていくかという解説であった。
一見すると、
『約束を守る。』
と答えた方が、優等生な回答に見える。
生徒からすれば、今日の道徳は
『約束を守る、というのが大切だよ。』
っていう授業なんだと、先読みしてしまうのだ。
43歳の私からすると、人を裏切ってでも果たしたい夢があってもいいと思う。
でも、そんな事をいうと先生に叱られるんじゃないか、と生徒は考えるわけだ。
生徒って自分で考えるよりも、大人の用意した正解を探す傾向がある。
だから、大人の正解をいかに隠して、生徒自身で考えさせるかがキモになる。
という内容の動画だった。
なるほろ〜
道徳の授業って、生徒に綺麗事とか優等生な正解を刷り込んでも意味はない。
自分自身で、思考とか判断ができるようになるための授業なんだと私は思う。
日本の少年は、まるで洗脳のように
『友情 努力 勝利』
というジャンプの合言葉を刷り込まれてしまっている。
だから、友達より自分を選ぶとか、楽をしたいとか、本音を言いにくい環境にあると思われる。
子供たちよ。
大人が喜ぶ回答を考えなくっていい。
もっと自分の本音で話していいんだ。
うちのお店で、某会社の取締役のAさんがいる。
先日、Aさんの会社へ中学生が社会見学に来ていた。
その時の中学生の質問が秀逸であった。
『どうすれば、役職って上がっていくんですか?』
この質問にAさんは胸元をえぐられたそうだ。
素朴で、本音で、素晴らしい質問だ。
本音で質問をしてくれたことに、Aさんは嬉しかったようだ。
『御社はSDGsでどのような取り組みをされていますか?』
だと、やっぱり先生や見学先の社長が喜びそうな質問だと思う。
いわゆる大人ウケを狙った優等生な質問である。
それが、
『どうすれば役職ってあがるんですか?』
となると、中学生が本音で知りたい質問をぶつけてくれた、とおじさんはワクワクする。
Aさんは嬉しくなって、誠実に嘘偽りなく質問に回答したようだ。
やっぱり本音の質問や回答は、人の心に刺さるのである。