手塚治虫の名著、『火の鳥』をいつか子供達に読ませようと思っていた。
いつの時期がいいのか。
小学の低学年では、ほとんど理解できないかもしれない。
できれば最初に読んだとき、大きな衝撃を味あわせたい。
高校生でもいいけど・・
もっと早く読ませたい。
熟考の末、姉妹が春休みで、暇そうにしているタイミングに読ませようと決心した。
長女が中学入学、次女が新4年生。
うん。
良きタイミングだ。
火の鳥は全巻持っていたはずだが、引っ越しやらなんやらで、下取りにだして手元になかった。
まずは、姉妹が火の鳥に興味をもつか、リサーチしてみた。
姉妹を呼んできて、
『おとーさんの大好きな、火の鳥って漫画よんでみたい?』
と聞いてみた。
姉妹『どんなやつ~?』
父『うーんとねぇ。50年くらい前に書かれた本でねぇ。・・・』
姉妹『50年前?・・・やっぱえい。』
やばい。
ネガティブ情報を先にだしてしまった。
父『スマホでちょろっと見えるがで。』
アマゾンで少しだけ中身が閲覧できるので、姉妹に見せた。
すると・・・
次女『あの洞窟からどうやって脱出したか見たい〜』
長女『うん。続きがみたい。』
よし。作戦成功。
満を持して、火の鳥全巻を購入した。
それにしても・・・
次女は、主人公が洞窟に閉じ込められたら、必ず脱出できると思っている。
普通の漫画はそうだ。
しかし、手塚先生はそうはいかない。
世の中をあるがままに描く。
良き人が、裏切られて酷い目に合う。
生まれ変わっても、また孤独や裏切りに合う。
不条理な世の中を、不条理なまま描く。
人の醜さや美しさをそのまま描く。
だからこそ、いのちの輝きが浮き出てくる。
火の鳥が到着した後、姉妹は一気に読み終えた。
どこまで姉妹に届いただろうか。